宗教

2008年5月 2日 (金)

仏法との出会い

 このblogでも何度でもいっていますが、葵は特定の宗教をもちません。

 けれども、仏教に関しては15歳のときから今日まで、不思議なご縁と葵の人生のテーマ上の関係から、毎日少しづつですが、勉強させていただいてます。

 中学生の頃、葵にも、生きることに対して執着がなくなった時期がありました。

 生きることに対して執着がなくなったといっても、仏教のとくところの無欲とは全く正反対の境地。

 他人にどれだけ迷惑がかかったとしても自分のしたいことをする。

 それで殺されてもかまわない、というかなり破滅的な考え方。

  もしかしたら、当時の自分は、かなり自暴自棄だったのかもしれません。

 あるとき、いつものように父の部屋に忍び込こんだとき、父の本棚にいくつかの宗教書があることに気がつきました。

そのときに、一番最初に自分の目に留まったのが故丹波哲郎の『丹波哲郎の死者の書』。

丹波哲郎の死者の書 (1980年)

 不思議な感じの表紙と、世間知らずの中学生にとって魅力的なタイトル。すぐに手にとって読んだのでした。

 このようにまず葵の場合、宗教からではなく、まず、オカルトから入っていったのです。

 読んでいるうちに、葵は重大なことに気がつきました。

 ああ、このままでは自分は地獄に落ちてしまうと(今となっては、軽い笑い話ですみますが、当時の葵にしてみたら、一大事でした)。

 この世で、苦しんで、苦しみぬいてその結果、死んでも無にはならない、それどころか今のままでは葵は地獄に落ちてしまう...。

 死んでからも苦しむなんて、いやだ。

 それ以来、葵は死んでから地獄に落ちないためにはどうすればいいのだろうということを真剣に考えるようになったのです。

 一方で、丹波哲郎の本や他の宗教書を読み漁り、その内容と矛盾点を考えます。

 その結果、一番自分にとって「理にかなっている」考え方が書かれていた本が仏教関係の本だったのです。

 そして、そのような本を見つけたことによって当分自分の生きる指針を見つけたような気になって、葵のこころはいままでより、より価値の高いものを目指すようになったのです。

 その年の夏休み、父に連れて行かれた京都。 幾つかの寺院を、“観光”しましたが、そのときに訪れた寺院のひとつ、建仁寺は、私にいくらかの安らぎを与えてくれました。

 それを契機に葵は仏教書を濫読するようになりました。

 今は、とりわけ、日本文化、日本人の心というものに関心がある以上、また、自分を取り巻く宗教的環境の疑問点から、今までより余計に仏教書を読む傾向にあります。

 ましては、私が卒業する際に取り上げたテーマは仏教民俗学的な分野。これは、葵が最初から狙っていたわけではなく、成り行き上、そうなってしまっただけなのですが。

 そして、最近では、神道の本をはじめとしてさまざまな宗教に関する本を読み漁るようにもなりましたが、やはりその一番基本にあるのは、中学生の葵に仏教をして“合理的である”と思わせた何かを探し続けているのでしょう。

 今思えば、かつての葵はずいぶん、自分と家族、他人を傷つけてしまいました。そのことは今、悔やんでも悔やみきれないことです。

 ですが、少しでも一生懸命自分の人生を生きること、また、近い将来で罪滅ぼしをしようと考えています。

 だから、そのために、今は自分自身を作り上げる期間。 

 自分を作り上げることほど、大変で苦しいものはないかもしれません。なぜなら、妥協ができないから。

 ですが、葵はなんとしても“望むもの”になりたいのです。それが何かは今は秘密ですが。

 今宵の月に魅せられて、今日はちょっとしゃべりすぎました(笑)。

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2008年4月18日 (金)

空海と最澄

 葵は卒論のテーマに関連していたこともあって、空海についてはたびたび話題にしてきたし、これからもしていきたいとおもいます。

 空海は確かに、仏教を通じて、日本文化の形成に大きく関わりました。その業績についてはまた、まとめていきたいと思います。

 空海のライバルであった最澄も日本の仏教形成に大きく影響を与えた人です。

 最澄は空海と語られるとき、空海のその超人的な人物像にかくれてしまいがちですが、比叡山に延暦寺という、仏教に関する総合大学をつくり、後の鎌倉新仏教につながる人物を排出したことをはじめとして、彼の唱えた一乗思想は、仏教の世界において平等という概念をもたらした点で、画期的でした。

 空海、最澄によって、日本の仏教は、仏教本来の性質を大きく改変してしまいますが(以後日本仏教はよりソフィストケイトされる傾向に向かう)、この二人は日本仏教における最大の祖師でしょう。

 真言宗も天台宗も、日本人に受け入れられる要素をもっていました。

 というのは、やはり日本人は全てのものに神性を感じ、人間とカミの境界が希薄でした。最澄は全ての存在に仏性があるとし、また空海の説く即身成仏は日本人の信仰が本来持っている人間とカミの境界の希薄性に非常によく溶け込みます。

 また、密教における加持祈祷は、本来民衆の共通の願いである現世利益をかなえてくれるという期待があります。

 これらのことから、この二人の説いた仏教は、修行もできない、寺院も造れない人々の悩みを取り除いてくれる仏教となったのです。

 こうして、仏教のお得意様が国家、皇族・貴族から庶民へと移り変わる下地ができるのです。

 

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2008年4月15日 (火)

葵の視点

 葵はこのブログでよく宗教のこと、とりわけ、仏教のことをよくとりあげています。葵自体、大学では宗教民俗学的内容の研究をしました。けれども葵自体は全く宗教に属していません。

 葵の育った環境はわりと平均よりも宗教色が強かったと思います。だから、葵は若いときは多少、ある宗教に属すことを漠然と考えたこともありました。

 ですが、年を重ねるにつれて、葵の信じる世界観と葵が属そうとしている宗教の世界観にずれが生じてきたのです。

 加えて、その宗教の腐敗が見えてきたのです。

 その宗教の内部にどっぷり使った人間にはそれは当然のことだと思うかもしれない。あるいはすでにその世界で築き上げた本人の社会的地位を考えるとどうすることもできないのかもしれない。

 けれども、葵のような、多少その世界とはちがった世界観を持った人間から見れば、その世界で行われている矛盾した行為をどうしても許すことができないのです。

 とりわけ、葵のような怠け者にはどうしてもその宗教における儀礼や日々のおつとめが形式的なものにしかおもえない。

 葵の信仰心がその程度のものだといえばそのとおりですが。

 加えて、10代の後半、ある結論に達しました。

 葵は、ある日、神は存在しない。仮に存在していたとしても神は人間に積極的な働きはしない。水や空気がただ、そこにあるように、神もただそこにいるだけだということに気がついたのです。

 葵が日本人だからかもしれません。ですが、葵にとって神の存在を介さないで人間の本質を説こうとする仏教や、輪廻を軸にした古代インドの自然観は大変合理的なのです。

 ですが、もちろん、仏教にも限界があります。

 そもそも、日本の仏教はもうその時点で葵が信奉している仏教ではありません。

 加えて、例えば、仏教史上、教義の名の下にどれだけの人権侵害が行われてきたことか。

 葵が信奉しているのは、釈迦が説いた原始仏教。そしてそれは、「仏道」ではなくて、「仏教」なのです。

 宗教ではなく、哲学なのです。

 名前を忘れたけど、葵の知っているある哲学者は哲学は最終的に宗教に帰結するとおっしゃっていました。

 考えてみると、確かにそうです。

 そう考えると、宗教は人々にもっとも受け入れやすい考え方なのかもしれません。

 ですが、人々に受け入れやすいからこそ、腐敗も進むのです。

 俗っぽい宗教は民衆に支持されがちですが、それが落とし穴。

 里に近ければ近いほど、その宗教の腐敗は進むのです。 

 そして、それを利用してひともうけしようとするうつけがでてくるのです。

 宗教は人が考え出したもの。それゆえに不完全なものです。

 だから、葵は宗教の一切に組しません。

 ただ、無宗教を貫くためにも宗教の勉強はし続けます。

 それに葵は宗教は否定しますが、それは信仰を否定したことにはなりません。

 世界には確かに、人智の及ばないこともありますし、人間の理性を超えた存在があることも認めます。ひとびとはそれを「精霊」や「カミ」というのでしょう。

 葵は神社に行けば神社式の参拝をいたしますし、お寺に行けば仏教式の参拝をします。

 それは、相手の信仰に敬意を示すことになるとともに、そこにいる、人智を超えた存在に敬意を示したいから。

 それが葵流けじめのつけ方です。

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